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2022年2月

2月 4th, 2022 Posted in コトバ, 徒爾綴 | no comment »

八万の法蔵をしるというとも

後世をしらざる人を愚者とす  蓮如上人

 

「八万の法蔵」とは、沢山ある釈尊が説かれた教え(御経)の事で、「沢山の御経を学び知っていたとしても」という事になります。そしてその後続けて、後世を知らない人を愚者と言うのだと仰います。

「後世」とは、現世が今なら生まれる前が前世、死後を後世というのでしょう。

 

お葬儀など、ご自身が亡くなった後の「現世」を気にかける方はお見かけしますが、ご自身の後世を気にかけている方はあまり知りません。
また「前世占い」も人気みたいですが「前世」と言いつつ、現世を快適に生きようとする為のものでしょう。

 

親鸞聖人は人生を「難度海」と海に譬えられました。度は渡と同じ意味です。

人生は荒波のように困難が多いものです。前世や後世よりも、現世の色んな問題を乗り越えようと、命ともいうべき人生の時間をかけて、みんな幸せな明日を夢見て一生懸命に頑張っているのです。

そうやって「将来の幸せのために」「明日のために」と頑張り続けますが、もし「明日が来なくなった」ならば、今まで現世のために頑張ってきた意味は一体どうなるのでしょう。

 

実は親鸞聖人の仰る「難度海」とは、人生は困難が多いという事を表現しているのではなくて、人生自体の意味を見出す事ができなければ、どれほど頑張って有意義に生きても、結果的に人生は真っ暗な荒波に揉まれて最期は沈む迷いの海でしかなくなると表現されたのだそうです。

 

長浜に来たばかりの頃、あるご門徒さんに「仏事が多い地域ですね」と話しかけたら「ごえんさん。仏縁は多い方がええんやで」と言われました。

これは、現世の諸問題から一旦立ち止まって「人生そのものの問題」と向き合う時間を大切にしようとする方のお言葉であると感銘を受けました。

 

しかしコロナで混迷する今「仏事は不要不急」と言って現世の諸問題にこそ時間を費やそうとする風潮はないでしょうか。
慌ただしい日々の出来事の中で一旦立ち止まる機会が無いと、問題に振り回されて「早いなぁ」と時の流れに驚いている内に、人生を「振り回され続けた時間」として消費してしまわないかと不安になります。

 

仏教とは、釈尊が覚られた真理を言葉にしてくださったのが始まりです。
釈尊入滅後も、多くの方々が「人生そのものの意味」を御経に問い続けて生き抜かれ、その身を通した言葉を紡いでくださった人生を貫く教えです。
その「人類の歴史」ともいうべき教えの中で、いのち全体の問題に向き合うために伝わったのが「後世」という世界観です。

 

その教えに耳を傾けて考える機会を失えば、自分が生きてきた程度の答えしか出ないのです。
母の胎内の記憶もなく、気がつけばいつの間にか現世を生きていた私たちは、どれほど頑張って我が「知恵」を絞り続けても、気がつけばいつの間にか終わりを迎えるのです。

今年も多くの法要・法座を予定しています。
仏縁を大切にお念仏申し、仏様の「智慧」に耳を傾け、どちらを向いて生きるのか共に考えましょう。