11月 3rd, 2023 Posted in コトバ, 徒爾綴, 法要案内 | no comment »
ご恩報謝とは、恩を返すことではなく、
ご恩を無駄にせぬことである。小山法城
ずいぶんと「掲示板のことば」を更新できないままでいます。
役割も環境も変わって数ヶ月が経ちますが、まだまだ毎日戸惑うことばかりで、思うより早く過ぎ去る時間の中で焦る気持ちだけが取り残されているように感じています。
坊守が正社員になってからは、毎日遅くまで仕事をするようになった坊守に代わって、朝食作りは私の担当でした。
昼食と夕食は坊守。いつもおいしいごはんを作ってくれます。でも外食するとなるとお肉やお寿司を好んで食べ、唐揚げやポテトサラダなども好んで注文していました。
ところが外食が多くなった最近、以前はあまり注文しなかった焼き魚を注文したり、何かの煮物を注文したりするのです。
「今享受しているご恩というのは失ってからしか本当にはわからない」とは九州の伊藤元氏のお言葉です。しばらくの辛抱とはいえ、今まさに家族の恩が身にしみています。
人生で受けるご恩というのは本当に沢山あります。
両親の恩、祖父母の恩、学校や部活動(クラブ)の先生も恩師と呼びますね。他にも地域で受けるご恩もそうですが、大抵が「先輩」からのご恩であるように思います。けれども私たちは生きる上で、子の恩、孫の恩、後輩の恩など実は先輩後輩関係なく縁ある方々のご恩を受け続けて存在しているように思います。
気がついているご恩以上に気がついていないご恩もたくさんあるはずですが、悲しいことに鈍い私は伊藤元氏のお言葉通り失ったり、離れたりするまではご縁を良縁悪縁と都合で計ってしまいがちです。特に関係性が近ければ近いほどです。
そんな私だからこそ「振り返る時間」がとても大切なのだと思います。
誰かを振り返っている時間は、実はその方と一緒にいる時間でもあるのです。
折に触れて振り返ることで、当時はわからなかったことに気が付き、愚かにも気が付いていなかった自分と出遇い、そんな自分と関わりを続けてくれていた「その方」と出遇い直しができるのです。
その方が今生きていらっしゃっても、お亡くなりになっていても、私たちは出会った以上、その方からの影響を受けなくなることはないのです。
改めて「ご恩」と報(しら)されることで自分の在り方に悲しみをおぼえ、賜ったご恩に報いていこうとする生活がはじまるのです。
そしてご恩に対して抱く「感謝」とは謝意を感ずると書くように、「ごめんね」と「ありがとう」が同時のものなのです。
今年も報恩講をご縁に参詣し、共にお念仏申し教えを聞き、悩み多き宗祖90年のご苦労を振り返り、私にまで伝え続けてくださった先達のご苦労をも振り返ることで、全てが私と無関係ではない大事な「ご恩」であったと報(しら)される。そこからご恩に報(むく)いていこうとする生活がはじまることが「ご恩を無駄にしない」ということなのだと思います。ぜひお参りください。
報恩講
◎11月11日(土)
13時30分 逮夜
御俗姓 大阪府堺市 光照寺 日野廣宣師
ご法話 三重県菰野町 金蔵寺 訓覇 浩師 2席
引き続き
御伝鈔 住職
お勤め
ご法話 三重県菰野町 金蔵寺 訓覇 浩師 1席
◎11月12日(日)
9時 晨朝兼日中
ご法話 三重県菰野町 金蔵寺 訓覇 浩師 1席
秋季永代経
13時30分
ご法話 三重県菰野町 金蔵寺 訓覇 浩師 1席
住職挨拶
以 上
8月 1st, 2023 Posted in コトバ, 徒爾綴 | no comment »
遇いがたくして 今遇うことを得たり
聞きがたくして すでに聞くことを得たり 教行信証 総序
数ヶ月前にご法事で伺ったお家でのことです。
そこでは仏事があると、決まって床の間に1935(昭和10)年に還浄されたお祖父様がお書きになったというお軸をお掛けになります。
普段と変わらぬお参り中の何気ない会話の中で、「おじいさんは写真が嫌いだと言って、この軸をわしやと思えと遺言されたんです」とお話しくださって、途端にお軸の見え方が変わりました。
そこには「極重悪人唯稱佛」と書かれていて、左上に小さく昭和乙亥(昭和10年のこと)とあり、左下に寳海院浮龜謹書とありました。
このお軸のエピソードをお聞きするまではあまりしっかり見ていなかったのでしょう。
途端に「寳海院浮龜」というお名前が「盲亀浮木」の譬えをおっしゃっているのではないかと思い至りました。
それは海底に住む目の見えない亀が、100年に1度浮かび上がって海上に顔を出すのですが、そのタイミングで偶然穴の空いた流木が漂ってきて、たまたま亀の頭がその穴から出るというお話です。これは私たちが人間として生まれること、そして仏法に遇うことがいかに稀かということの譬喩でお釈迦様がお話になったそうです。
出会っていても出会えておらず、聞いていても聞けていないのが私の常です。
このお軸にしても、以前からお見かけしているのに、その託された願いには全く気がついていなかったのです。
人のことでもお念仏の教えでも、聞いて理解しているようで、自己流の解釈で誤解し、見落としていることばかりです。
わかっているつもり、知っているつもりで自分の理解の範囲に落とし込んで、落とし込めなかった部分は気にも留めない私が、たまたまのご縁で法に遇い、気付いて(わかって)いなかった自分に出遇った時、「すまなんだなぁ極重悪人であった、気付けてよかった」と感じ、願いをかけ続けてくださる阿弥陀様の呼び声に応じてお念仏申す生活が始まるのだと思います。
だからこそ阿弥陀様から見た私、つまり「極重悪人」(正しいつもりなので罪深い)は阿弥陀様からの呼び声に応えて生きよ「唯稱佛」(ただ念仏を称えよ)と大きく書き示されたのだと思います。
さらに「わしやと思え」と言い遺して、お子さんやお孫さんに細かく説明なさらなかったのは、「自ら教えを聞いて確かめて、お念仏申してほしい」との呼びかけではないのかと受け止めました。
たくさんの方が私たちのところまで仏法を伝えようと阿弥陀様のお手伝いをしてくださっている事実があるのです。見ても聞いても、いつでも気が付かないのはわかっているつもりの私なのです。
6月 18th, 2023 Posted in コトバ, 徒爾綴 | no comment »
よしあしの文字をもしらぬ人はみな まことの心なりけるを
善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり 親鸞聖人
親鸞聖人は「良し悪しの文字をも知らぬ人」は「まことの心」で、「善悪の字しりがお」つまり「何事もそれなりの見解をお持ちの方」は、「おおそらごと(大嘘言)」であるとおっしゃいます。私の常識とは全く逆ですが、実はここがとても大切だと思います。
私たちは日々多くの物事を見聞きし経験します。そのことで様々なことを自分なりに理解し、判断するようになります。
わかるとは「分ける」と書くように、何事も自分の理解の「枠」に分類することで、一応「解った」ことにしていくのです。ですから、その「枠」が多いと「答え」が増えたようでとても便利です。そして分類方法である「枠」が似ている人とは意見も合いますが、「枠」が異なる人とは合わないことがよくあります。
けれども、その「枠」は経験によって大きさや形が変化し更新されますので、人間関係も日々変化します。
だから「枠」は「惑」に通ずると教わりました。自分の判断、分類に迷いがないことを「惑」というのです。
道を間違っていても「迷っている」と気が付かない限り、立ち止まって地図を確かめることがないのと同じで、道を求め、教えに問い尋ねることを忘れるのです。
近年、何事もじっくり向き合って取り組んだり、何度も何度も考えをめぐらせたりすることよりも「わかりやすいかどうか」「できるかどうか」が重視される傾向にあるように思います。どれほど大切に長い間伝承されてきた御聖教(ご法話)でも儀式でも「難しいことはダメなこと」「やったことがない、できないものはダメなこと」なのです。「楽・わかりやすい」が重視され、大体主語は「私が」ではなく「みんなが」です。
人間の要請に応える宗教と人間そのものを明らかにする宗教との峻別が明瞭にならないと宗教が曖昧になる。とは廣瀬杲氏の言葉です。
仏教は人間そのものを明らかにする教えだからこそ、宗祖はこのご和讃をお詠みになったのだと思います。
比叡山でのご修行に励まれた努力や苦労も手柄にして誇り、納得した答えを掴む「枠」を生み、その「枠」に縛られる歩みにしかならない。そういうご自身の姿をごまかさずに受け止められた深い悲しみのご和讃なのでしょう。
そしてだからこそ法然上人に教えられた「南無阿弥陀仏」と阿弥陀さんの呼び声に応えていく道に喜び、自分の善悪・好悪ではなく縁のあったこの道を大切に歩まれたのだと思います。
言わば、自ら囚われ苦しみ悩む「惑」からの衆生解放が法蔵菩薩の誓願(本願)でしょう。
なのに、どんなに枠を破られても必ず新たな枠(惑)を生み出す私なのです。
だからこそ、たとえ今の自分にわからなくても、目の前の人や物事と丁寧に向き合っていこうとする「しらぬ人」を忘れぬ歩みを「愚禿」と名告られたのではないかと思います。