2020年2月

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古人の跡を求めず
 古人の求めたるところを求めよ
      松尾芭蕉

 

2月と言えば、長源寺のあるこの地域では「二十二日講」通称「回り仏さん」という御講が連綿と受け継がれ、営まれています。

以前にも書きましたが、1788年1月30日。
ご門首が乗如上人(第19代)の頃、「天明の大火」によるご本山焼失が事の起こりです。
再建にあたっては湖北から大勢のお同行が出向かれ、詰所に寝泊まりしつつ、昼は奉仕、夜は聴聞の日々を送られたそうです。

当時の事です。行くのも大変ならば、ちょっと帰るということもできません。また、今のように重機もありません、まさに命がけです。故郷には家族も残して、相当の覚悟であったことでしょう。
でも、そのお陰でついに10年後の1798年には、両堂再建が果たされました。

しかし乗如上人は、着工から3年後の2月22日に寿算49歳で還浄されました。遺志を継いだ逹如上人は、落慶の際に乗如上人の御影を奉掛し、盛大に法要を営まれました。ところがその法要後、別れを惜しんでなかなか帰らないお同行に対して、「落慶を国元に報告するように」と逹如上人は乗如上人のご寿像2幅と御書(ご消息・お手紙)を湖北の御同行に送られたという事です。
爾来、乗如上人の御命日である22日から「二十二日講」と称する御講が組織され、200年以上各町村で法義相続の御仏事が営まれています。

しかし正直、何が回ってくるのやら、その方法も意味も他所から来た私にはわかりませんでした。また近年、この御講の意義が見失われつつあって、取りやめてしまう地域も出てきています。けれども私は一緒にお勤めさせていただく中で、これは単に過去のご苦労を忘れない為に営んでいる訳ではなく、この御仏事を通して本当の「安心」に出遇って欲しいという先人の願いが形となって届けられた「伝統」なのだと今は思っています。

宗正元(そう・しょうげん)氏は「安心(あんじん)」というのは「自分の一生涯全体が決まること」であると仰います。
自分の「思い」で人や物事に善悪をつけ、揺れ動き、迷いながら一喜一憂してばかりのこの人生において、一筋に阿弥陀様の浄土へと導いてくださる道標とも言うべき法灯(お念仏の教え)に「私(達)が」出遇う為に伝わっているのだと思います。

今月末には御遠忌お待ち受けの永代経もお勤まりになります。「因習」なのか「伝統」なのか、是非お参りいただき、聞き、語り、お確かめください。

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This entry was posted on 月曜日, 3月 16th, 2020 at 17:54 and is filed under コトバ, 徒爾綴. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can skip to the end and leave a response. Pinging is currently not allowed.

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