2022年9月
人は二度死ぬ
長源寺仏教婦人会では、年に1度映画鑑賞会をします。
今年は、あるご門徒さんのおすすめで「リメンバー・ミー」というディズニーの映画を鑑賞しました。
お念仏とか極楽浄土とかという事とはまた別に、死後の世界が現在の延長線上で描かれているところをとても楽しんで観ることができました。おすすめです。
とても印象的だったのは「人は2度死ぬ」というセリフがあったことです。
自分のことを覚えてくれている人がいなくなると、肉体を失った死後、その存在自体が消えてしまうということでした。
実は竹中智秀先生が「人は2度死ぬ。1度目は肉体の死で、2度目は存在の死です。忘れ去られるのです。これは決定的な死です。だから2度は死なせまいとして法事を営むのです」とおっしゃいました。
ところが故人のためを想って仏事を勤める時、実は故人の思い出だけではなく、自分は故人に対してどういう存在でいたのだろうかと、自分自身を見直しさせられてはいないでしょうか。
また生きている間も、誰かが私を知ってくれているから生きていられるのです。誰も私を知らなければ、どれほど孤独でしょうか。私の思う印象であろうと無かろうと、他者との関わりの中で私は私でいられるのです。
生きていらっしゃっても、お亡くなりになっていても、出会った以上、私は他者との関わりの中で影響を受け続けて存在しているのです。
「リメンバー・ミー」のリメンバーとは「remember」と書きます。
「remember」は「思い出す」と訳しますが、「re」は繰り返しを意味し、「member」はラテン語の心にとどめる「memor」が語源です。
つまり、繰り返し繰り返し心に留めるというのが本来の意味だったようです。
以前先輩に○回忌というのは、「言ってみればお亡くなりになった日が1回忌だと言える」と教わりました。初めて故人の死を受け止める日です。だから1周忌は「言い換えれば2回忌とも言える」2回目、故人の死を受け止めるのです。
繰り返し繰り返し思い起こすことを通して、繰り返し故人と、そして故人も導かれた教えに出会い直し、繰り返し私の日常の有様を見直す。
平素、自分の思いに迷い揺れて悩み苦しむ私が、自分もまた必ず全てを手放して終えていく人生において、何を本当に大切にしていくのかを教えに知らされて人生の立ち位置を取り戻す。そんな時間が故人を縁に訪う(とぶらう)仏事だと言えるのではないでしょうか。