2023年11月
ご恩報謝とは、恩を返すことではなく、
ご恩を無駄にせぬことである。小山法城
ずいぶんと「掲示板のことば」を更新できないままでいます。
役割も環境も変わって数ヶ月が経ちますが、まだまだ毎日戸惑うことばかりで、思うより早く過ぎ去る時間の中で焦る気持ちだけが取り残されているように感じています。
坊守が正社員になってからは、毎日遅くまで仕事をするようになった坊守に代わって、朝食作りは私の担当でした。
昼食と夕食は坊守。いつもおいしいごはんを作ってくれます。でも外食するとなるとお肉やお寿司を好んで食べ、唐揚げやポテトサラダなども好んで注文していました。
ところが外食が多くなった最近、以前はあまり注文しなかった焼き魚を注文したり、何かの煮物を注文したりするのです。
「今享受しているご恩というのは失ってからしか本当にはわからない」とは九州の伊藤元氏のお言葉です。しばらくの辛抱とはいえ、今まさに家族の恩が身にしみています。
人生で受けるご恩というのは本当に沢山あります。
両親の恩、祖父母の恩、学校や部活動(クラブ)の先生も恩師と呼びますね。他にも地域で受けるご恩もそうですが、大抵が「先輩」からのご恩であるように思います。けれども私たちは生きる上で、子の恩、孫の恩、後輩の恩など実は先輩後輩関係なく縁ある方々のご恩を受け続けて存在しているように思います。
気がついているご恩以上に気がついていないご恩もたくさんあるはずですが、悲しいことに鈍い私は伊藤元氏のお言葉通り失ったり、離れたりするまではご縁を良縁悪縁と都合で計ってしまいがちです。特に関係性が近ければ近いほどです。
そんな私だからこそ「振り返る時間」がとても大切なのだと思います。
誰かを振り返っている時間は、実はその方と一緒にいる時間でもあるのです。
折に触れて振り返ることで、当時はわからなかったことに気が付き、愚かにも気が付いていなかった自分と出遇い、そんな自分と関わりを続けてくれていた「その方」と出遇い直しができるのです。
その方が今生きていらっしゃっても、お亡くなりになっていても、私たちは出会った以上、その方からの影響を受けなくなることはないのです。
改めて「ご恩」と報(しら)されることで自分の在り方に悲しみをおぼえ、賜ったご恩に報いていこうとする生活がはじまるのです。
そしてご恩に対して抱く「感謝」とは謝意を感ずると書くように、「ごめんね」と「ありがとう」が同時のものなのです。
今年も報恩講をご縁に参詣し、共にお念仏申し教えを聞き、悩み多き宗祖90年のご苦労を振り返り、私にまで伝え続けてくださった先達のご苦労をも振り返ることで、全てが私と無関係ではない大事な「ご恩」であったと報(しら)される。そこからご恩に報(むく)いていこうとする生活がはじまることが「ご恩を無駄にしない」ということなのだと思います。ぜひお参りください。
報恩講
◎11月11日(土)
13時30分 逮夜
御俗姓 大阪府堺市 光照寺 日野廣宣師
ご法話 三重県菰野町 金蔵寺 訓覇 浩師 2席
引き続き
御伝鈔 住職
お勤め
ご法話 三重県菰野町 金蔵寺 訓覇 浩師 1席
◎11月12日(日)
9時 晨朝兼日中
ご法話 三重県菰野町 金蔵寺 訓覇 浩師 1席
秋季永代経
13時30分
ご法話 三重県菰野町 金蔵寺 訓覇 浩師 1席
住職挨拶
以 上