平成24年 報恩講並びに秋季永代経
新涼のみぎり、ご門徒の皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。また、平素は当院護持に、格別のご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、今年も慶運山長源寺報恩講がお勤まりになる時節となってまいりました。
今月の掲示板の言葉『解決策がわからないのではない。問題がわかっていないのだ。G・K・チェスタートン』の所感でも申しましたが、
『私の所からしか見ようとせず、それでいて分かったつもりになり、私の都合を理解しない他者を悪者にし、同時にその他者との関わりを苦痛に思う。苦痛に思い、距離を置こうとする。または問題を誤魔化そうとする。しかし、また別の関わりで同じような事が起こる、そして、またその事に悩む…苦悩の連鎖です。
もしかしたら、大津のいじめの問題も、教育委員会の問題も、全てはそこから始まっているのではないでしょうか。そしてまた、ニュースを見た私達は『悪い奴だ』と自分の事を棚に上げて、決して耳に心地良くもない言葉をならべる。
清廉潔白で善良な市民であるはずの私達は、一体何をやってるんでしょうね。
親兄弟、子や孫とその生き様を共有できますか?』
(※全文は『コトバ』2012年9月のところをご覧ください)
これは、高橋先生のおっしゃる『人間の愚かさは、何にでも答えをもっていることだ』という事に通じるのではないでしょうか。自分の都合のいい答えや理屈を並べ立てて、善悪の二分化でもってして、正しい自分と悪しき他者を作る。その狭間で嫌な思いをしているのは、他者のみならず、正しい筈の自分自身ではないでしょうか。
今改めて、確信のうちに惑い、自他共に傷つけあう私の生き様を、先生のお話を通して、皆さんと共に再確認させていただきたいと思います。
どうか、諸事ご多端の折、後生の一大事と心にかけて、万障御繰り合わせの上、ご参詣くださいますよう、ご案内申し上げます。
合掌
記
日 時 平成廿四年十月六日(土)~七日(日)
報恩講 六日 結願逮夜 午後ニ時 御 初 夜 午後六時半
七日 結願晨朝 午前七時 結願日中 午前十時
永代経 七日 午後一時半
御法話 大阪市生野区 光德寺御住職 高 橋 法 信 師
以上
慶運山 長源寺住職 釋卓静