2016年9月

苦しんでいることは救いではないが、救いの縁となりうる

                               安田理深

ある方と立ち話をしているときに、

「人生で問題の無い時なんてありませんよね」と言われました。

 

何か悩んでおられるのでしょうか。

立ち話でもあるので、深くは訊ねませんでした。

 

でも、その一言がこころに残り、私たちを悩ませ苦しませる「問題」って一体何なんだろうと考えています。

 

私たちは、面倒で厄介なことなど、現状に不便を感じると「問題」だと認識するように思います。

それは人間関係であったり経済や身体的・精神的なことであったり…考えてみますと、確かにその方がおっしゃるように、問題が無くなった時はないように思います。

 

それにしても、たくさんある問題ですが、それはいつからあったのでしょうか。

 

学生の頃、ある先生の決める規則が私には問題に見えたことがあります。

でも、その先生にとっては問題どころか、当たり前のことなのです。

それは、友人によっても意見が分かれました。

どうやら「問題」にはその受け止めに個人差があるようです。

 

だとすれば、そもそも私は本当に問題とすべき事柄と、そうでない事柄とをきちんと区別できているのでしょうか。

 

ふと我が身を振り返ると、もしかしたら「問題」の大半は単に「気に食わない」のが原因なのかもしれないと思いました。

 

あれがいや、これもいや。ああなれば、こうなれば。

思い通りの人生を願う私にとって、この世は問題だらけです。

 

思い通りにならない人生を問題視し、また思い通りになったらなったで新たに問題を見つけ出してしまうんですね。

 

そうやって、今ではないいつか、ココではないどこかで問題が解決して幸せになれるはずだと思い、悩みながらも喜怒哀楽を繰り返し生きて来たんです。

しかし今も尚、今ではないいつか、ココではないどこかで幸せになれるはずだと思って悩んでいます。

 

それはつまり、今の今まで堂々巡りを繰り返して生きてきたことになります。

 

困った顔をして、自分を取り巻く境遇や他者を変えようとしている私ですが、そもそも私は自分で生まれようと考えて生まれたわけではありません。

気付けば今ココに、この身とこの境遇を有するいのちとして落在していたのです。

 

この広い世界に、自分の思考とは無関係にひとつのいのちとして誕生したのです。

 

現に、私の考えでこの心臓を動かす事も止めることもできません。心臓は心臓で脈打ってくれています。身は、いのちを最後まで前向きに生きようとしてくれています。

また、いつ、どのような縁で娑婆を去ることになるのかも、私には考えが及びません。

 

両親の縁、そのまた両親の縁によって生まれ、縁ある方々と共に生き、死して尚、縁ある方々に見送られるのです。

私が好きか嫌いか、都合が良いか悪いか、損得勝ち負け上下は関係ありません。

 

そういう身を生きているにも関わらず、他者や状況を変えることで、人生を思い通りにしようとして苦しみ悩み、問題視していたのではなかったのでしょうか。

この身、自分ひとりですら、思い通りになったことなどありはしないのに。

 

その私の傲慢な視座が本当の問題なのであって、他者のせいでも、環境のせいでもなかったのです。

そして、自分勝手に狭い、苦しい、生き場が無いと悩むんです。

 

助かるということは、居場所が与えられるということである

                               金子大栄

 

自分の都合を優先して考えて悩む私が、今、既にココに与えられている自分の居場所(境遇・関係性)に気付くところから一歩歩み出すところに、人生がイキイキと開かれてくるように思います。

それは、問題自体はそのままですが、その問題に全てを覆われて振り回されるような閉ざされた人生ではなく、問題を抱えながらも人生が開かれていくような歩みと言えばいいのでしょうか。

 

身を煩わせ、心を悩ませる、「煩悩」そのものが私であり、実はそんな私も許されて居場所を与えられていたのであって、隣る人もまた同じであり、あらゆる存在がそういういのちを生きておられる。

煩悩が私であったと知らされたのは、阿弥陀さんのおかげですが、私が煩悩まみれ、問題だらけでなければ、仏法も聞けなかったと問題が転ずることも、なんまんだぶつの利益(りやく)といえるのではないかと思いました。

 

苦しんでいることは救いではないが、救いの縁となりうる

 

自分勝手に苦しみ悩む自分だからこそ、この教えがあったのでした。

This entry was posted on 土曜日, 9月 17th, 2016 at 12:07 and is filed under コトバ, 徒爾綴. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can skip to the end and leave a response. Pinging is currently not allowed.

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