徒爾綴(2025年10月)
2025年11月 報恩講のご案内 / 徒爾綴
世の中ままにならぬ、 あてにならぬ、 無我・無常がゆえに。 清沢満之
「私の役職は私のものではない。私の前にもその務めを果たされた方がいる。私のあとにも受け継がれる方がいる。たまたまのご縁でお預かりしているだけで、前の方からどう受け継ぎ、次の方へどう渡していくかが大切なのだ」と、職場でも家庭でも折に触れて話をしてきました。
先日何人かで「これからお寺をどうしていくのか」という話になりました。
多くの方は、「今まで守ってきた」「先祖代々受け継いできた」という思いをお話しくださり、それはまさに尊いことだと感じました。
けれども同時に「私の寺」という気持ちが強くでるのが人情だとも感じました。
私自身は長源寺に入寺させていただいてから、「自分の所有」だと思ったことはありません。長源寺のご門徒や歴代住職の先達からお預かりしたものです。
たまたまのご縁で、今皆様と一緒に長源寺という道場を護らせていただいているだけです。
そう言うと「でも今まで一生懸命頑張ってきたやんか」と一人の方に言われました。
もちろんその通りなのですが、それは「頑張れたご縁」があったからこそです。
ご門徒の皆様のお力添えや、自分の体調や気持ちも「ご縁」です。決して思い通りになるものではなく、当然あてにもなりません。
頑張れるご縁もあれば、どうしても力がでない時もあるのです。それもまた縁しだいです。もっといえば、他者から見れば、頑張っているように見えることもあるし、頑張っていないように見えることもあるのです。
私もあなたも、変化していくのです。
私もあなたも、自分の意志が全てだと思っていますが、その意志すら実は縁によるのです。
私の中にはできる種(因)もできない種(因)もあるのです。それが縁によって、どんな種(因)が実(果)を結ぶのかはわかりません。
縁に出遇ってはじめてわかるのです。
将来の不安や現在の不満を解消したい。そのために頑張っている(頑張ってきた)という思いで日常が埋め尽くされて、それ故に努力や苦労を手柄にし、気がつけば人生の全てを自分の思い通りにできると勘違いしているのが私たちの姿ではないでしょうか。
だからこそ、あらゆることが「私の所有物」になり、思い通りにいかないと、他者や与えられた現場に不満を抱いてもがき、切り捨て、思い通りになりそうな新たな執着を探すのです。
間もなく報恩講です。共に仏前に参詣し、思い通りにしよう、あてにできそうなものを身の回りに揃えようとあくせくすることが人生の全てなのか、今一度、一緒に考えてみませんか。
お一人でも多くのご参詣をお待ちしております。
◎11月8日(土)
13時30分 逮夜
御俗姓 大阪府堺市 光照寺 日野廣宣師
ご法話 三重県菰野町 金藏寺 訓覇 浩師 2席
◎11月9日(日)
9時 晨朝兼日中
ご法話 三重県菰野町 金藏寺 訓覇 浩師 2席
住職挨拶
以 上