平成23年 報恩講並びに秋季永代経
9月 9th, 2011 Posted in 法要案内 | one comment »新涼のみぎり、ご門徒の皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。また、平素は当院護持に、格別のご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、今年は長源寺宗祖親鸞聖人七五〇回御遠忌の準備委員会が発足いたしました。今こそ改めて、何の為にこの寺が建立されたのか、御先祖は、後世の我々に何を願って真宗門徒になられたのか、また、次の世代に何をどう受け継ぐのか、を問い直す事が肝要ではないでしょうか。それは自分が何を中心として生きているのかが、明らかになる問いでもあるでしょう。お金でしょうか、地位や名誉でしょうか、それもいいでしょう。ただ、それらが崩れ去ったら、何を頼りとして生きていくのでしょう。
最近、安心・安全・安定が今まで以上に求められています。宗教や自己啓発セミナーでの「不動心」が求められます。しかし、生まれてからこの方、変わりつつある私たちに不動なるものなどあるはずもなく、また流動的な世界情勢に不動で居られるものなのでしょうか。以前にもご紹介致しましたが、平野修先生のお言葉で次のようなものがあります。
「100%安心しようとする心が、そのままで不安を生み出します。100%安心しようとする心が不安の種を探し出してしまうのです」
先日、石川県の藤場俊基先生のお話から、不安の種は私の持つ因が、今なら原発事故や震災、不況を縁として、不安という果が出ているのだとお聞きしました。ご先祖は、縁あらば不安になり、怒り、悲しむ私たちの有様を問う道場としてお寺を建立なさったのではないでしょうか。いつの(時代を超えて)、どこの(国も超えて)、誰もが(立場や性別を超えて)「そうだ」と頷き続けてこられた、不変で、普遍なるモノが高橋先生のおっしゃる「まことのこころ」であり、真実とよべる事ではないでしょうか。自分の思い、お金や地位や名誉、その他移りゆくモノを中心とするのは揺れ動く動揺の人生です。そういう物を自分の中心に据えるのではなく、まことの教えを中心に据え、無常のわが身を揺れ動いて生きて行く人生こそ、同じ揺れでも、立脚地のある、根を張った人生だと思います。
どうか、諸事ご多端の折、後生の一大事と心にかけて、万障御繰り合わせの上、ご参詣くださいますよう、ご案内申し上げます。
合掌
記
日 時 平成廿三年十月十五日(土)~十六日(日)
報恩講 十五日 結願逮夜 午後ニ時 御 初 夜 午後六時半
十六日 結願晨朝 午前七時 結願日中 午前十時
永代経 十六日 午後一時半
御法話 大阪市生野区 光德寺御住職 高 橋 法 信 師
以 上
慶運山 長源寺 住職 釋 卓静