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2019年11月

11月 25th, 2019 Posted in コトバ, 徒爾綴 | no comment »

それ非常の言(ことば)は常人の耳に入らず。

                                                     教行信証 証巻(真宗聖典287頁)

 

中国の曇鸞大師のお言葉です。

 

非常のことばと言うのは、日常的に語られることの少ない言葉を指すのだそうです。

また常人と言うのは、自らの思いに従って日常生活をする人、つまりは私の事です。

そして、その日常生活を根底から支えているもの、あるいは日常生活の背景にあるのが「非常の言」つまり、非日常(の言葉)であると教えられます。

 

長浜教区(滋賀県米原市〜福井県敦賀市)という地域は「土徳」と言われるように、真宗の教えが文化にまでなり、言葉となって伝わっています。例えば、「赤ちゃんもろた」とか「参らしてもろた(亡くなった)」などです。しかし、近年その言葉たちも見失われつつあるように思います。

 

例えば、赤ちゃんは阿弥陀さんからもらう(預かる)のではなく「作るもの」になってはいないでしょうか。

「作る」ようになると自分の思いによって、作ったり作らなかったりし、命も都合に左右されます。

 

私たちが「日常」だと思っている生活とは、大抵自分の思い通りの生活です。日常生活とは、無意識に当たり前の生活の事だと考えていますが、実は経験から予測した範囲内の生活でしょう。

 

対して、非常のことばが表現している世界というのは、私たちの日常を破ってくる世界です。

生老病死をとってもそうです。

どれか一つでも出てくれば、私の日常はいとも簡単に吹き飛び、非日常に放り出され、どのように受け止め、考えたらいいのかわからない事態に行き詰まります。

 

そんな非日常のことば(世界観)に導かれ、私に先立って生きてくださった方々のお言葉が、御経や和讃などのお聖教になって伝わっているのでしょう。そして、その私たちの日常を支える非日常の世界を「真実」とか「真理」とかと呼んだのではないかと思います。

すぐに「自分の思い」に埋もれて右往左往する私には、お念仏申し、繰り返し繰り返し聴聞する以外に確かな人生の歩みは無いように思います。