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2012年2月

2月 6th, 2012 Posted in コトバ, 徒爾綴 | no comment »

悟るといふても 迷ふていることを 悟るのである

安田理深

「悟る」というと、なにかこう超越した視点を賜ったり、死を恐れなくなったり、悟ると間違いを犯さなくなるイメージがあります。より良くなろうとして悟りを目指しますが、ちょっと違うのかもしれませんね。

強いて言うなら、「自覚」という事でしょうか。

自分が正しいと思い込みすぎる。または、自分の正しさを周囲にわかってもらおうとするがあまり、誰かを傷つけてしまっている事というのは気付きにくい。自覚できませんね。

なんせ、正しいのですから。

自分はわが身を振り返る必要性は無く、むしろそこを理解しない相手こそ、考えを改めるべきであるというスタンスなんですね。人の事はよく見える。

誰かがそうであるという話ではなく、今この文章を書いている私にも当てはまる事です。

先日、娘(小6)が道徳の授業で「自分勝手な人は良くないから、そうならない様に気をつけましょう」という事を学んできたと話しておりました。

とても大切な事なんですが、道徳と宗教の違いはここにあるのではないでしょうか。

自分以外の誰かを自分勝手だと感じても、自分の事を自分勝手であると自覚する人は少ないでしょう。

そして、自分勝手な方を悪い人にして、自分は迷惑を被っている善良な人という所に立つのでしょう。そうなった瞬間から、自分勝手で悪い人に対しては、態度を改める事よりも、先ず正しい自分を相手に認めさせて、反省してほしいと願うのでしょう。

自分自身が思うようにならないのに、人を思うようにしようとする。

これを自分勝手というのではないでしょうか。

我必ずしも聖( ひじり)にあらず。彼必ずしも愚(おろか)にあらず。共にこれ凡夫ならくのみ。by聖徳太子