Archive for 3月, 2018

2018年 同朋学習会のご案内

3月 24th, 2018 Posted in 聞法会 | no comment »

 

寒い冬の間(1月、2月)はお休みしておりました同朋学習会が再開されました。

 

本年もご講師は東近江市・玄照寺ご住職の瓜生崇師をお招きして、歎異抄についてお聞かせいただきます。

多くの方々と共に、生老病死する我が身の苦悩と向き合う道を聞き、考えて参りたいと思います。

是非ご参加くださいますよう、ご案内申しあげます。

 

次回は4月16日(月)19時30分〜です。

今後の日程は
5月24日(木)

6月25日(月)

7月20日(金)

8月20日(月)

9月19日(水)

10月15日(月)

11月19日(月)

12月17日(月)

参加費 年会費6,000円 / 1回ずつの方は当会へ1,000円程度のご協力をよろしくお願い致します。

「浄土真宗の法話案内」http://shinshuhouwa.info(ブログロールにもあります)からもご確認いただけます。

お問い合わせは長源寺のfacebookページかkeiunzan.chogenji@gmail.comまでどうぞ。

2018年 寺ヨガ

3月 24th, 2018 Posted in 寺ヨガ | no comment »

穏やかな日差しも出てきましたが、まだまだ寒い3月です。

2018年の寺ヨガのご案内をいたします。

参加費 500円

ヨガマットレンタル 無料 ※必ず事前にご連絡ください。

参加者の方からご希望があり、今年から女性限定になりました。ご理解とご協力をお願いいたします。

開催日程はこちら↓

1月8日(月)

2月12日(月)

3月12日(月)

4月9日(月)

5月14日(月)

6月11日(月)

7月9日(月)

8月13日(月)

9月10日(月)

10月8日(月)

11月12日(月)

12月10日(月)

いずれも19時から20時頃までの予定です。皆様のご参加お待ちしております。

お問い合わせはFacebookかkeiunzan.chogenji@gmail.comまでどうぞ。

 

※SNSでは寺ヨガの案内をしていましたが、webでは失念しておりました。

大変失礼いたしました。

2018年3月

3月 24th, 2018 Posted in コトバ, 徒爾綴 | no comment »

慈悲に聖道・浄土のかわりめあり

歎異抄 第4章

滋賀医科大学で「医の倫理合同講義」というものがあるとネットニュースで知りました。

年に1度、内部の医学生と外部の宗教者が互いの役割を知って「死生観」を深め、終末期の患者さんとの向き合い方を議論するのだそうです。
講師を務められたのは鹿児島市にある浄土真宗本願寺派の善福寺住職、長倉伯博さん(64)。長らく緩和ケア病棟で活動していらっしゃるのだとか。

記事にはこうあります。

『学生からは、もし自分が担当する患者だったらどう対処するかという観点で意見を出されたが、大半が口にしたのは医療側からの希望だった。すると、患者の言いたいことをひたすら聞く「傾聴」を実践している、ある僧侶がこう諭した。「この方は自分がどうなるかを知った上で苦しんでいる。そのとき、どうしたり、どう言ったりすれば共感してもらえるだろうか」
学生に対し、表面的な言葉や態度ではなく、患者の立場や気持ちに思いを寄せるよう促したのだ。』

記事以外の具体的な講義内容はわかりませんが、その記事から感じたのは、私は私の視点でしか誰とも関われないということです。

相手の視点に立とうとすることはあっても、完全には立てないということです。

以前、住職としてご遺族に対して、何とかさせていただかなければと思い、一生懸命中陰毎にお話し続けたことがありました。

満中陰を過ぎ、その後どう過ごしていらっしゃるのか気になって色々考えていた時に、とんでもない思い違いをしている事に気付かされました。

儀式を執行している私も勿論、寂しかったのですが、帰れば家族がおります。しかし、ご遺族は私が帰った後も、大切な人が亡くなられた場所で生活していらっしゃるわけです。

私の行為が善意によるものであったとしても、何かがわかって、何かができると思っていた自分の傲慢さに胸が痛かったことを覚えています。

寄り添うということの難しさと、住職として引っ越して来たこの町で、仏法を拠り所に共に生き、共に死ぬという事を深く考えさせられました。

『医療の目的は病気を治すことよりも、人生を深く味わう機会を患者に作ることに置くべきではないか。そう考えないと、人の死に直面したとき、医療には敗北しか残らない』とは講師の長倉さんの言葉です。

一人一人、その時その時、スカッとした正解の無い人生です。
では私自身はどのように生きたいのか。共に教えに聞き、考えていきたいと思います。