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2018年5月

5月 19th, 2018 Posted in コトバ, 徒爾綴 | no comment »

人間の愚かさは

 何事に対しても答えを持っているということです。   宮城顗

ずいぶん前に、大阪市生野区・光德寺ご住職の高橋法信師に、聞くことの難しさと大切さをお伝えくださっているお言葉だと教えていただいたのが、この「今月のことば」です。

昨年にも同じような言葉を掲示いたしましたが、実は最近つくづく人は聞くという事が苦手な存在なのだと思うような経験をしました。

それは先日、追突事故に遭ったことがきっかけでした。
すぐに友人の勧める病院に行ってみましたが、なぜか診察もそこそこに、症状も決められてしまいました。

そこで転院しましたら、今度は丁寧に診察していただく事ができて、安心して通院しています。

宗教家・法律家・建築家・農家・政治家・医師・教師・整備士・鑑定士、世の中にはあらゆる専門家が存在し、あげればキリがないほどです。
なぜ専門家と言われるかといえば、専門外の方がいらっしゃるからですね。

でも、一度専門家になると自分の視点が専門的であるとは自覚しづらいものです。
誰しも自分の知識や考えは特殊ではなく、正しく常識的であると思い込む傾向があります。

その思い込みに気付けないと、違う立場や異なる意見を聞く事に耐えられなくなります。
すると忽ちその実力は思うように発揮されなくなり、否定と持論の押し付けに終始してしまいます。

これは私自身にも言える事で、自分の思いを脇へ置いて、相談者からの不安・要望をキチンと聞き、適切にお応えできているかと言えば、甚だ怪しいものです。

特に儀式などの専門的な話は、よくわからないと仰る方からすると、どのように相談したらいいのかもわからないという話をよく耳にします。
ですから専門的な経験や知識も大切ですが、まずは相談者と問題意識を共有しようとする事が大切なのではないかと思うのです。

しかし、時に私が相談者になる事もあります。
その時、相談者にも問題があると思い至りました。

実は相談者もまた、自分に納得のいく答えでないと拒絶する事があります。
つまり、相談しつつも既に期待する答えを握っている事があるのです。

お互い、本当に聞くという事が苦手なのです。
お互い、答えを握る「自分」の専門家なのです。
どちらにも偏らない教えに知らされないと、私の歪んだ本当の姿には気付けないのでしょうね。