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2020年11月

11月 29th, 2020 Posted in コトバ, 徒爾綴 | no comment »

五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく

外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり 親鸞聖人(正像末和讃)

 

五濁が増えた証には、この世の誰もが善人のように振る舞い、仏教徒の様に装うけれども、内心は仏教以外のもの。道理より自分の思い通りになる人生を願っているという事です。

このご和讃に同意こそすれ、異を唱えるようなものが自分には見当たらないのです。ものの道理を知ったり、体裁を整えたりする事は、経験し学習する事でなんとかなるかもしれませんが、内面においては嘘をつけません。
沸き起こって来てしまう、外道をたよりとする自分がいるのです。

とても大雑把ですが「五濁」とは…

①劫濁(こうじょく)・時代の濁り。時代社会が混乱する濁り

②見濁(けんじょく)・思想やものの見方の濁り

③煩悩濁(ぼんのうじょく)・1貪欲(むさぼり・愛着)、2瞋恚(怒り)、3愚痴(道理に暗く愚か)の 三毒の煩悩が盛んになる

④衆生濁(しゅじょうじょく)・衆生の資質が低下し、教えが伝わりにくくなる

⑤命濁(みょうじょく)・生命力低下や寿命が短くなる事

…と辞書的には教わっています。

ウィズコロナの時代は混乱を極め(劫濁)、自他ともに感染しているかもしれないと疑心暗鬼な生活になります。そんな不安の中、教えよりも世間で騒がれているような多数の意見になんとなく流され(見濁)、その中でも少しでも自分の思い通りになる人生を欲しがり(貪欲)、それを損なうと感じた者には怒り(瞋恚)、思い通りにならないと四六時中愚痴まみれになる。

釈尊ご入滅から時間が経てば経つほど教えが伝わりにくくなると言われています。

それは教えを聞いても自分の思考に落とし込んで理解した気になって(見濁)、共に生きる浄土の世界観よりも、世界を自と他、内側と外側に分けて自分で自分の「濁」(障り)を生み出し、自ら生き辛さに苦悩する私自身の事を言われているのです。

そして750年以上前に今の私の姿を言い当てるご和讃をお作りくださっていたという事は、実は親鸞聖人もまた、ご自身の「濁」を教えに知らされ、真向かいになっておられたという事に他ならないのだと思います。

矛盾しているようですが、人間が「濁り」を生み出すような存在でなければ、この教えは伝わっていなかったと思います。なぜなら、阿弥陀さんはそんな濁り苦しむ私のために「必ずすくう」と誓願をたててくださった唯一の仏様だからです。

お念仏の教え(道標)を通して、行先知れぬ人生で、我が思いを叶える事ばかりを願う自分の悲しい姿を知らされた時、改めてこの道(仏道)があって良かったと本当の願いに出遇うのだと思います。