法要案内

平成27年 修正会

12月 25th, 2014 Posted in 法要案内 | no comment »

平成27年 1月1日 午前9時より

本堂にてお勤め致します。

どなた様も、是非お誘いあわせの上、お参り下さいますようご案内申し上げます。

釋 卓静

平成26年 春季永代経法要

3月 25th, 2014 Posted in 法要案内 | no comment »

陽春の候 皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

ようやく暑からず寒からず、仏法聴聞しやすい時節となってまいりました。
つきましては、来る四月十二日(土)に春季永代経法要を厳修いたしますので、ご案内申し上げます。

ところで、永代経とは何のためにお勤めするのでしょうか。

よく「永代にわたって、住職寺族が故人の為に読経し続けるのが永代経だ」と耳にしますが、本当にそれだけでしょうか。

例えば私が読経すること、あるいは皆さんが参詣されることで、故人に何か起きたり、私たちの生活全体がどうにかなったりするのでしょうか。
永代経が、「故人を縁としてずっと御経があがること」ならば、そこにはどんな宗教的な意義があり、どの様に私と関係してくるのでしょうか。

そもそも宗教とは、私が生きる上でとするえの事を言うのでしょう。建物でも棟、身体でも胸というように、「宗」といえば、中心を指すのですね。迷い多き身の拠り所。帰する所と言ってもいいでしょう。

では、私たちが宗教に求めるものは何でしょうか。先祖への敬いや感謝の心でしょうか?…もしかしたら、「思い通りになる人生にしてほしい」と求めてはいないでしょうか。

お金儲けを教えてくれる何か、言うなれば“拝金教”とか、人生を巧く立回る方法を教えてくれる“勝ち組教”などではないでしょうか。
本音ではそれを私たちが求めているという証拠に、本屋さんには巧く生きる為のマニュアル本が多く並びます。その題名はわかるとか簡単・やさしいとかですね。
それでもだめなら神仏頼み。しかし、上手くいかなくても、誰も神仏を咎めません。何故でしょう。畏怖や尊敬の念でしょうか。

別に、それらがダメだとか良いとかということを論じたいのではないのです。

その様によくわからないままの何かを、宗教と呼び、私の中心に据えることができるでしょうか。いやむしろ、日頃私の求めているものが「宗教」と呼べるでしょうか。

永代経で私たちに与えられるのは、共に法施(教え)です。それはお金儲けや巧く立回る為の教えではありませんし、その場、その行為には私個人の欲望を叶えるチカラもありません。

ではなぜ永代経、そもそも仏教が今日まで伝えられたのでしょうか。
共に聴聞し、考えさせていただきたいと思います。是非、友人・ご家族おそろいでご参詣ください。

合 掌

四月十二日(土)午前十時〜と午後二時〜いずれも本堂にて勤まります。

ご法話は滋賀県東近江市 玄照寺住職 瓜生 崇 師です。勤行後、各座二席ずつ聴聞させていただく予定です。

ご希望の方は、どなたでもお参りください。本堂から入りにくい方は、庫裏(住職宅)にお声掛けください。

平成二十六年三月

 慶運山 長源寺住職  釋 卓静

平成25年 報恩講並びに秋季永代経

11月 7th, 2013 Posted in 法要案内 | no comment »

秋麗のみぎり、ご門徒の皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。また、平素は当院護持に、格別のご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。

さて、今年も慶運山長源寺報恩講がお勤まりになる時節となりました。

今年はお一人お一人のご協力のおかげで「平成の大修復」と呼べる程の修復ができました。

まだまだ足りない仏具もありますが、今回の大事業のおかげで、向こう五十年乃至百年の間、さまざまな仏事・行事が執行しやすく、また参詣していただきやすくなったと思います。

それにしても、私たちは何のためにこの修復に踏み切ったのでしょうか。これだけのお金や労力があれば、美味しいものを食べに行ったり、良い服を着たりできたのではないでしょうか。なんでまたお寺の修復に時間とお金と労力をつぎ込んだのでしょうか。

今回のご講師である、里雄亮意師は「伝えられる願い」と題してお話くださいます。また、平塚萬里子師(元中学校教諭)が激動の戦国乱世をお念仏の教えと共に生ききられた教如上人について、自作の紙芝居にて演じてくださいます。

どちらも共通テーマが「願い」だと言えるのではないでしょうか。教如上人が命掛けで戦われたのは、単に本願寺という組織や伽藍を守りたかっただけではないと思います。そこに願われていたものとは一体なんだったのでしょうか。

曽我量深という先生が、叶った時に消えてしまう願いや叶わねば無意味である願いは我々の欲望の変形にすぎない。とおっしゃっています。

教如上人の命掛けの行動も、この修復も、内容は違いますが、どちらも欲望によってなせるものでは無かった事だと確信しております。突然思い立ってこんな事できません。伝えられて来たものと、それを感じたものによってなされた大事業であったと思います。

これからは、その修復に踏み切らせた「何か」をお一人お一人が、この本堂でご一緒に聞き開き、受け止め、確認して頂く事によって初めて、この修復が本当の意味で完成を迎えるのだと思います。

どうか、ご多用のこととは存じますが、美しく再生された本堂で、お二人のご講師のお話を聞かせていただき、共にお念仏申しながら、それぞれが共々に考えさせていただきたいと思いますので、万障御繰り合わせの上、ご参詣くださいますよう、下記のとおりご案内申し上げます。 合掌

日 時  平成廿五年十一月九日(土)~十日(日)

    報恩講  九日 結願逮夜 午後一時半   御 初 夜  午後六時

           十日 結願晨朝 午前七時   結願日中 午前十時

    永代経  十日         午後一時半

    御法話 大垣教区 緑林寺   里雄 亮意師

    紙芝居 長浜市宮前町     平塚 萬里子師

以 上

平成廿五年 十月           慶運山 長源寺住職 釋 卓静