平成25年 春季永代経法要
早春の候 皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
今年はうっかりしてご案内が遅くなり、申し訳ございません。
さて突然ですが、皆さんは、日頃お子さんやお孫さんが生きて行かなければならない時代に思いを馳せたりされますか。
何をしてあげられますか。
お金や土地、家屋などの財産を遺しますか。
地位や名誉を伴う人間関係ですか。
豊かな自然、もしくは便利で快適な都市型生活ですか。
どれも大切で、魅力的ですが、どれも失わない保証の無いものばかりですね。
平成二十三年三月十一日。二年前の永代経の前々日。東北で、私たちが日頃魅力的に思っているものが一瞬で失われました。
今も復興しきれていません。まだまだ問題は山積しています。
「国や東電が悪い」
なるほど。それもそうかもしれません。
しかし、私たちは無関係でしょうか。
東北の方々も、親(先祖)から受け継いだ、財産•人間関係•自然や快適な生活があったでしょう。
私たちと何も変わりません。
同じです。
それでも私たちは、可哀想だと言ったり、人に批判や文句を浴びせたりするだけで、自分は痛まない所に避難し、善良な一市民であり続けようとします。
果たしてそれは普通の事だと思われますか。
復興支援は、ボランティアなどの援助だけではないと思います。
私たちが真剣に、親(先祖)から何をどう受け継ぎ、子や孫に何をどう伝えるのかを考える事も、広い意味では、東北の方々と共に過去に学び、未来を見据え、今を生きる事に繋がるのではないでしょうか。
今当たり前に享受している生活(社会全体)は過去からの贈り物です。今その贈り物をどのように受け継ぐのかは私たちの責任です。そして、未来へは私たちから贈り物として受け渡していくのです。贈り物とは、押し付けられたり、押し付けたりするものではありませんよね。
今の社会(私やあなた)の生き方は贈り物となりえますか。
しかし過去、現在、未来は区切ろうとしても区切る事はできません。ですから、良いと思うものも、そうでないと思うものも半ば強制的に受け継がれて行ってしまいます。
ともすると利己主義になりがちな私たちは、大きな繋がりの中で、生かされて生きていたのだと再認識するべきではないでしょうか。
損得の動物的感情に振り回されてしまう私たちの、人間(性)回復です。
永代経は、仏事をご縁として、仏法に遇ってほしい、人間として生まれた意義と、生きる喜びを見いだしてほしいと我々に込められた、親(先祖)からの願いであり、贈り物だと言えるでしょう。
まもなく長源寺・春季永代経法要です。私以外のあり方を問う私ですが、参詣のご門徒さん方と共に、わが身を問うお念佛の教えに、どのように生きて行くべきなのかをたずねていきたいと思います。
合 掌
三月十日(日)午前十時〜と午後二時〜いずれも本堂にて勤まります。
ご法話は石川県七尾市 常福寺 畠山 浄 師です。勤行後、各座二席ずつ聴聞させていただく予定です。
ご希望の方は、どなたでもお参りください。本堂から入りにくかったら、庫裏(住職宅)にお声掛けください。
平成二十五年三月
慶運山 長源寺住職 釋 卓静