2017年8月
人間は信心に立たなければ、結局金か権力に立つ以外ないのです。
訓覇信雄
「結局世の中は金や」と言う言葉は、割とよく耳にします。
確かにお金は大切です。この社会で生きていく上で、無くてはならないものです。
あればあっただけ楽でしょうが、それが全てだと認めるならば、私の人生はお金で何とかなるようなものしかない人生だと認めることになります。
それは同時に人も物も仕事も、お金に換算できる範囲でしか見ることができていないということと同じ意味になるのではないかと思います。
では、権力はどうでしょうか。
組織などをまとめたりする立場や役割は必要かもしれませんが、誤って権力を本当の力だと錯覚してしまったならば、それは大変危険なことだと思います。
周囲の人をふるいにかけて、役に立つ人間とそうでない人間を作ってしまうような事もあります。
そもそも権力というのは、あると認めたところに存在するのです。
権力やお金も、私たちが社会生活を営む上で価値があると信じているから、それは成り立っているのです。
言いかえてみれば、権力やお金を「持つ者」も「持たざる者」も、共にそのシステムを支えているということです。
権力の権とは仮という意味ですので、仮に世間の役割としての力を与えられたということでしょう。つまり、立場を離れたらその権力はその人から引き剥がされ、元に戻ることになります。
でも、「あると思った」ものが無くなったと感じるならば、それは元通りではなくマイナスにしか感じないばかりか、喪失感や不安に苛まれることもあることでしょう。
お金や権力など、あれば便利に世渡りができそうなものですが、それは豊かに生きると言うこととは違うのではないかと思います。
欲求する心は収まらず、羨む心も止まないけれど、教えを通してそれが本物ではないということに気付かされたとき、本当に求めるべき大切なことを教えられます。
その時初めて私の狭さを知らされると同時に、この世界が広がりをもって豊かに見えてくるという事があると思います。