2018年1月/修正会のご案内

あらたまの 年のはじめは祝うとも 

南無阿弥陀仏の こころわするな

蓮如上人

 

この時期、私の日頃のこころはお祝いムード一色ですが、蓮如上人は南無阿弥陀仏のこころを忘れるなと仰います。

 

学生時代にお世話になった竹中智秀先生が次のようにおっしゃっています。

「死のない生を前提とした人生設計は幻想である」

 

現代の我々の理想が生み出す快適便利なものは、無意識的に「死」は前提から除外されていることが多いように思います。

 

 

例えば最近はSNSという無料で個人のページを作れて交流できるという便利なサービスがあります。

そのお陰でお寺の様々な活動が活発になってきたのも事実ですが、ページの持ち主が亡くなってもページは存在し、さらにその方のお誕生日を祝うようにお知らせまでしてくれます。

なんとも言えない感情が起こってきます。

 

あるいは以前住んでいた街では、二人でいっぱいになるエレベーターや非常に狭い階段の建物がありました。御棺や担架で運び出される事を前提としていないという事でしょう。

 

「生」のみが私たちの前提となった時、いつまでも生きるつもりで、病んだり傷ついたり亡くなったりする事実を抱えた存在である事を忘れます。

 

それに対して昔ながらの日本家屋は生老病死を前提としているように思います。

何事かあれば、田の字に並んだ四部屋の和室が、三十畳ほどの大きな一部屋になります。

おめでたい日も、そうでない日も縁ある人々と迎え、送ることができます。

しかも、その建物自体も古くなって壊れたり傷んだらいくらでも修繕できるようになっています。

限りあるものに手をかけて、出来るだけ大切に長く付き合う事が前提となっています。

 

私の日頃のこころは我欲に浮かれたり沈んだりしますが、蓮如上人がお勧めくださっているのは、物だけでなく人に対しても、死や終わりがあるという事実を南無阿弥陀仏のこころによって知らされつつ、二度と繰り返せない日々を縁ある人と大切に生ききるという人生ではないでしょうか。

 

たとえ日常の細事に振り回され、日頃のこころに埋もれてしまうとしても、季節の節目や亡き人をご縁とした仏事の際に、共に聴聞することで同じく生老病死する人生を振り返りましょう。

2018年もどうぞよろしくお願いいたします。合掌。

 

修正会

日 時 2018年1月1日(月) 午前9時 御始

場 所 慶運山 長源寺 本堂

みなさまのお参りを、こころよりお待ちしております。  釋 卓靜

This entry was posted on 日曜日, 12月 31st, 2017 at 21:10 and is filed under コトバ, 法要案内. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can skip to the end and leave a response. Pinging is currently not allowed.

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