2018年10月 / 報恩講・秋季永代経のご案内

人生には 三つの坂がある のぼり坂 くだり坂 そして まさか

 

急性腰痛症になりました。

初期症状は軽い違和感を覚える程度で、だんだんと車の乗降が辛くなり、次第に何をしていても鈍痛が出るようになりました。

整体、整形外科、内科も受診しましたが原因不明。

心因性、つまりストレスじゃないかとか言われることもあり、対処に困っておりました。

ついには安静にしても堪え難い激痛が走り救急車を呼んでほしいとも思いましたが、何とか歯を食いしばりながら最寄りの病院まで送ってもらいました。

しかしやはり、触診・尿検査・採血でも原因不明。

1番強い鎮痛剤を投与していただいても完全に痛みが取れる事はありませんでした。

しかし翌日、痛みが少し和らいできた事もあり大きな病院での診察でレントゲン撮影もしましたが、原因不明。

さらに数日後MRIの撮影をしましたら、ようやくヘルニアであったと判明しました。

 

思いもよらない形であらゆる予定をキャンセルする事になり、多くの方にご迷惑やご心配をおかけする事になってしまいました。

そんな自分では何もできない、お願いしてお任せする以外ない状態になり、色々と考えさせられました。

 

安田理深氏は、「忙しいということは、怠けている証拠だ」とおっしゃいます。

 

これから年末までは、お寺でもご門徒宅でも法要が多い時節です。

この時期は一番体調管理に気を使います。しかし、その忙しさの中で立ち止まって色んな事ときちんと向き合う時間まで無くしてしまっていたのかもしれません。

 

「なくす」は漢字で書くと無くすとか亡くすとかがあります。

無くすは物を失えるですが、亡くすは人や動物の命がなくなる様子を表現しています。

 

忙しいのは心を亡くすと書くと言われますが、実は亡くしているのは私自身なのかも知れません。

 

私を亡くした状態とは、「これでよし」「私は間違っていない」と我を忘れた状態であり、欠点や迷いを忘れた姿です。

そういう時は、頑張っている自分や人の粗ばかりが見えるのです。

 

そんな時は道を教えてやるとは思っても、自分が道を知らされなければならない存在だとは考えません。

つまり、その人生に求道はないのでしょう。

 

「空過」する人生とは、怠けている感覚ではないと教えてもらいました。

「忙しい」と気忙しく予定に追われ、今は他の事を考える余裕もない状態で、そんな日常を過ごし続け、最終的に大切な事を何も知らず、あらゆるものを手放してから「わしの人生は何やったんやろか」と愕然とする姿を言うのだそうです。

つまり、後から空過した事に気が付くのですね。

もし気忙しさを感じているのなら、今まさに空過しているのかもしれません。

 

この度、日常の気忙しさから無理矢理にでも離された事で「まさか自分が」と思った私は、忙しいと言いつつ大切な事と向き合う時間を疎かにしてきた、怠っていたのだと教えられます。

 

ご法事やご法要というのは掃除から荘厳、あらゆる依頼や案内まで何かと支度が大変です。しかもその時間(勤行・聞法)は日頃とは時間の流れが違います。

忙しい中でも手を止めて、足を止めて教えに我が身を知らされる、追われる日常(自分の都合)から一旦離れてみる、とても大切な時間であると言えるのではないかと思います。

来月11月10日(土)、11日(日)は報恩講です。

共にお念仏申し、それぞれの立場で教えを聴聞し、自分自身を回復する時間を共有しましょう。

 

報恩講

◎11月10日(土)

13時30分 逮夜

御俗姓 大阪 光照寺 日野廣宣 師

ご法話 大阪 法泉寺 永井貴宗 師 2席

18時   初夜兼お内仏御取越し

御伝鈔 住職

ご法話 大阪 法泉寺 永井貴宗 師 1席

◎11月12日(日)

7時    晨朝

朝御講(御斎をみんなでいただきます)

10時    結願日中

ご法話 大阪 法泉寺 永井貴宗 師 1席

 

秋季永代経

13時30分

ご法話 大阪 法泉寺 永井貴宗 師 1席

以 上

 

This entry was posted on 月曜日, 10月 22nd, 2018 at 17:30 and is filed under コトバ, 徒爾綴, 法要案内. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can skip to the end and leave a response. Pinging is currently not allowed.

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